役に立つことが重要か?

 

今日は勉強する時、面白い内容を読んだ。

作者はなぜ私たちは専門家に敬意を払うかについて論じる時、専門家は私たちの普遍的な利益に関わる分野を研究するからだと説いた。つまり、専門家たちは自分の身につけた手段を用いて私たちに優れたものを提供できるからだ。

ここで、作者はまた別の例を挙げた。

例えば、準理論物理学者の場合はどうだ。というのは生産力に転じることができない研究をしている研究者が私たちの生活とはるかに遠いし、役に立たないように見えるが、その人たちの場合は尊敬すべきであるのかと

作者は京都大学名誉教授佐藤文隆の著者「サイエンスと公共性」の中の内容を引用した。

以下は教授がなぜ役に立たない分野を研究する科学者たちがえらいとの説明である。

「金と欲の世の中で、それは科学技術の世界にも及んでますが、そんな現在にも、実利を離れて清く正しく生きている科学者がいると言うシンボリックな意義が大事だ」

つまり存在するだけで意義がある!

先日罗翔先生の「刑法講座」を聞く時、なぜ私たちは日常論理を守らないといけないかについてプラトンの名言を引用する内容を思い出した。

「物事を実施するとき、結果が良いからしたのではなく、その物事自体が良いことだからしたのだ」しかし、その物事自体が良いであるということに対しての証明は時に「永遠の時間がかかる」かもしれない。

一見役に立たない研究かもしれないが、研究精神自体が有意義である。

しかし、私は理論研究は決して無意味ではないと思うが。。。

なぜかというと、政府とか資本家たちは決して研究者たちの「清く正しく生きる」ためにお金を投資するであろう。

今突然前解いた読解問題を思い出した。上の内容とはちょっと違うかもしれないが、

吉見俊哉さん書いた『「文系学部廃止」の衝撃』の内容だ。

文系の知が理系の知より明らかに短期的に目に見える価値はないようだが、長期的にみて、文系的な知が劇的変化していく時代に合わせて新しい価値を生む出す点だけでは理系の知に勝るのだということ。しかし、これを実現するにはやはり時間が必要だ。